自分の歴史を振り返ると見えてくるものがある-その7

■目が疲れている人向け→【朗読バージョン】■

元上司からの電話に応えて、一年ぶりに仕事をすることになった私。(詳しくは…前回のブログを読んでね)コレ、今だったらあり得ないことかもね。

技術の進歩や環境変化のスピードが物凄い早さでしょ?仕事を辞めて一年も経っていたら浦島花子ですもん。お客様とコミュニケーションする力とか、事務処理の基礎知識は役立つとしても、プログラム作成の技術は通用しないんじゃない?でも幸いなことに33年前は何とかなったんです。

↓ 当時の入社案内に載ってた私の仕事道具

プログラム作成に必要なコンピュータなんて、もちろん持っていませんでしたよ。今のパソコンより処理能力はずっとずっと低いけど、お値段は10倍以上するんですから。仕事をする道具が無いなら、今回買ったコンピュータを使っていいよ。ナントお客様がそう言って下さって、私はお客様の会社の一室を借りてプログラムを作ることになりました。

毎日のようにお客様の会社に通ってプログラムを作る。その中で仕様上の疑問点が浮かべば、現場ですぐ担当者に聞ける。しかもそこは義父が役員を務める会社。お客様も家族も力を貸してくれるという、何とも恵まれた仕事でした。

そんなこんなで、数か月に及ぶ仕事は無事に終了しました。人が喜ぶ姿をイメージしながら時間を使う。知恵を絞る。手を動かす。久しぶりの仕事はホント楽しかったな~ でもね、これは一時のアルバイト。一社丸抱えさせてもらって、まとまったお金を頂戴するなんて一生に一度の経験。最初で最後。だからアルバイト代の一部で買物をして記念に残そう。そう思って買ったワンピースは今でもクローゼットの中にあります。

↓ 記念のワンピースは弟の結婚式でも着ました

一生に一度のはずが…

記念の品を買って、少し貯金も出来て、いい時間を過ごさせてもらった…と余韻に浸っていた矢先、元上司から再び電話がかかってきました。小さな仕事なんだけど手伝ってくれないかな?って。

手伝ってと人にアテにされると弱いんです、私(笑)それで元上司が助かるのなら、何カ月もかかる仕事じゃないならいいかなって、続けざまに仕事を受けたんです。

すると元上司の口から、思いもよらない言葉が出てきました。

ねぇ浅野さん、会社を作らない?

ちょ、ちょ、ちょっと待って。なんでそんな話が出るの?心に湧いた私の疑問に答えるように、元上司はこう続けてくれました。

浅野さんに払っているアルバイト代って、あるソフトハウスに手数料を払って、そこを経由して振込んでいるんだよ。ウチの会社、個人とは直接取引が出来ない規則があるからね。ボクはこれからも浅野さんに仕事を頼みたいと思ってる。もしも浅野さんが会社を作ってくれたら、ウチと直接取引が出来るんだ。考えてくれないかな?

これからも私に仕事を頼む?会社を作る?なんでそんな発想が生まれたんだろう?私、もっと仕事を下さいなんて頼んだ記憶が無いんだけど…今でもココが最大の謎です。私は継続的な仕事を望むオーラは出していなかったと思うけど…元上司は何かを感じていたのかな。

会社、作っちゃおうか?

いや、いや、いや、会社を作ってプログラム作成の仕事を受けるなんて考えられません。単発的な仕事だから受けさせてもらいました。そう答えるのが自然よね。なのに、このときの私の頭の中には新たな発想が生まれていました。

会社を作る。今まで考えもしなかったけど、ソレいいかも知れない。

夫は電気関係の技術者としていずれ独立したいと言っている。その仕事を会社組織でやることは法律的に出来ない。しかも基本的に新しい建物が立たないとお客様は増やせない。つまり、夫が技術者として独立しても、生活していける収入を得られるまでには相応の時間がかかる。

だったら…会社を作るのもいいんじゃない?私は夫の収入が安定するまでプログラム作成をする。夫は技術者としての契約を少しずつ増やしながら、会社で事務機販売の仕事をする。独立がいつになるか分からない中途半端な暮らしは嫌だし、会社は作って困るもんじゃない。だったら会社作っちゃおうか?

新しいことに挑戦するのが大好きな夫に相談した結果、そういう話になりました。

きっとあの頃は、二人とも浮き足立ってたんでしょうね。自分たちの会社を持つって夢がある話でしょ?今までやってないことを始めるワクワク感がある。会社を登記すればその先に素晴らしい世界が待っているような気持ちになって、行き先を決めないまま旅に出てしまいました。通過点さえ決めない旅にね。

・技術者としての夫の仕事が安定したとき、会社はどうするの?

・そもそも夫の仕事が安定したときって、どういう状態をさすの?

・どんな会社にしたいの?

アシストをどんな会社にするのか。固い言い方をすれば『 企業理念 』について、夫と私でほとんど話しませんでした。話したのは…資本金をいくらにするか。そのお金をどうやって用意するか。どんな商品・サービスを扱うか。誰を社長にするか。そして何という名前の会社にするか。主に登記簿に記載する内容ばかり話してましたね。

↓ 会社の登記簿

結局、登記上の代表者は義父にしました。夫は技術者としての仕事上、会社の代表者にはなれない縛りがあったから。私は、若いうえに地元経済界で知名度ゼロだからです。

資本金は貯金と義父からの出資でまかなって、昭和61年、つまり1986年の5月21日に株式会社アシストを誕生させました。

いつもより少し長くなってきましたね。今夜はここまでにします。おやすみなさい。

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浅野葉子
1959年千葉県生れ札幌育ち。学校卒業後に事務員をするつもりで就職した会社でシステムエンジニア部門へ配属される。4年間のハードワークで精神と体を鍛えられつつ仕事の楽しさを知る。1985年結婚と同時に来た釧路で夫とアシストを開業。以来 『オフィスの仕事をもっと楽しく便利にするには?』 に知恵を絞る。 2014年アシスト内に 『葉子の部屋』 を、2015年アシスト2階に『つながり空間まめ』をオープン。テーブルを囲んでのお喋りから多くを学んだ子供時代の経験を仕事にも生かしたいと試行中。 絵を描くこと、モノを作ること、自然の中に体を放り込むことが好き。

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