消えゆく実家

今年1月、父がこの世を去りました。98歳の誕生日を一緒に喜び合った6日後の、あっけない別れでした。

11年前に母が亡くなって以来、父は実家で一人暮らしをしていました。1971年に父が建てた実家は今年でちょうど50歳。あちこちが経年劣化しているし冬はとても寒い家でした。

それでも父は最後まで「俺はここで死にたい、ここで死なせてくれ」と言い続け…その望みは叶えられたのです。

満50歳の実家

父の最後の望みを叶えた実家。50年分の家族の思い出が詰まった実家。私を含めたきょうだい5人の誰かが引っ越して来れば実家を延命出来たのでしょう。けれどそれぞれに「今の生活」があります。

結果、実家は解体。更地にして売却することになりました。

どんなに大切で愛おしいものであっても、カタチあるものを永遠に残すことは出来ませんよね。それに…永遠じゃないから愛おしいと思えるような気がします。

実家の解体が決まったとき、私の中には寂しいとか悲しいとかという気持ちはほとんど湧いてきませんでした。むしろ短期間のうちに売却が決まって良かったとさえ思っています。

父が丹精した庭も消える

少し先と今にフォーカス

そんな風に思えるなんて、浅野さんて割り切りの強い人だねって思う人がいるかも。たしかにそういう面はあります(笑)

ただ…自分なりに分析したところでは「少し先と今にフォーカス」して親と接してきたから、そう思えるのかも知れないです。

・会えるときに親に会いに行こう
・電話や手紙で沢山言葉を交わそう
・写真や動画で楽しい時間を記録しよう

親に会いに行くなんて仕事が忙しいうちは無理。そう考えてしまうと親のことはいつも先送り。でも親と自分を取り巻く状況はどんどん変わるでしょう?。

親が元気だからこそ会いに行く。会えないときは電話や手紙で言葉を交わす。楽しい時間は記録して後日一緒に見て楽しむ。

親が病に伏してからじゃなく、今ね。

親が元気なうちに沢山時間を共有出来たおかげで、実家に対して「もっとこうしたい」という感情は起きてこないんじゃないか。自分ではそう結論づけています。

カタチは消えるけど…

幸いにも家族が(たぶん)理解してくれて、私は年に何度も帰省出来ました。そして記録も出来ました。

実家はまもなく消えます。けれどこの先いつでもその姿を、そこで交わされた言葉を、思い出させてくれる画像がココに残っています。

サヨナラのセレモニー

記録が残っている。そうは言っても、お別れにはセレモニーが必要。そこを境に心の中を切り替えるような場がね。

両親が生きていた頃の食卓のように、きょうだい揃ってワイワイとお喋りしながらのバーベキューを実家の庭で楽しみました。

東京オリンピック期間中の暑い暑い日。延々6時間続いたファイナルバーベキュー。

そして…バーベキューが終わったら我が家の恒例行事。サヨナラ記念撮影です。

父が亡くなって7ケ月。笑顔で実家とサヨナラしました。

年内にはこの場所に新しい家が建って、若い家族の新しい歴史が刻まれるはず。実家は消えるけれど、消えることで新しいものが生まれる。それが分かっているから、なおさら寂しさを感じないのかも知れないな。今このブログを書きながら思いました。

親を送り、実家とお別れして…次は自分の行く先のこと、少し先のことにフォーカスする番。おかげでいい人生送れましたって、親にありがとうを言えるような余生を送ろう。消えゆく実家に想いを馳せながら今そう思っています。

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浅野葉子
1959年千葉県生れ札幌育ち。事務員をするつもりで就職した会社でSE部門へ。精神と体を鍛えられつつ仕事の楽しさを知る。1986年、結婚を機に来た釧路で株式会社アシストを創業。以来 『仕事をもっと楽しくするには?』 に知恵を絞る。 2014年に 『葉子の部屋』 を、2015年に『つながり空間まめ』をアシスト内にオープン。テーブルを囲んでのお喋りから多くを学んだ子供時代の経験を仕事にも生かしたいと試行中。 絵を描くこと、モノを作ること、自然の中に体を放り込むことが好き。

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