『 今の仕事をするために生まれてきたような人です! 』
日曜日、お手伝いとして参加したエクスマ塾の他己紹介コーナーで、何人かの塾生さんがこんな風に紹介されてました。
それって仕合せなことだよな~ 自分の好きなこと・得意なことと仕事が結びついているんだもんね。
↓ 今回は社員のめぐみんも参加
ところで…自分はどうかしらん?
35年以上この仕事をしているけど続いている理由は何だろう?
そもそもどんな理由でこの仕事を始めたんだっけ?
急にそんな疑問が浮かんできて、そのあたりを知りたくなったんですよね。自分の頭を整理したいときは誰かに話すのがイチバン!でも~、昨夜は話し相手が居なかったんです。
そこで!誰かに話すつもりでブログを書くことにしました。
昨夜のブログ→風邪をひいた夜には自分の歴史を振り返る
この↑ブログの続き…という感じで書きますね。
自分を出せない小学生時代
かまってもらえない寂しさを感じたまま、私は保育園に通うことになりました。当時住んでいた山形県東根市は果樹栽培が盛んなところで、忙しい農家のお母さんのために保育園があったんです。
↓ 近所の同い年くんと一緒に入園式へ
保育園に一年通って、そのまま同じ地区の神町(じんまち)小学校に入学しました。でもね、その小学校に通ったのは一年生の一学期だけ。親の転勤が決まって、夏休みには北海道へと引越です。
結局…札幌市立幌南小学校→恵庭市立島松小学校→札幌市立厚別(あしりべつ)小学校と転校を繰り返して、6年間で合計4つの小学校に通いました。
今よりもずーっとノンビリしていた時代。それでも転校って、本人にとってはかなり緊張するものなんですよね。学校が変わるたびに、またイチから人間関係を作っていかなくちゃならないでしょ?今みたいにSNSなんて無いから、学校が変われば友達の関係も消えるに等しいんですもん。
↓ 一番長く通った豊平川沿いの幌南小学校時代
だから、どの小学校でも大人しくて口数の少ない、自分から意見を口にするなんてほとんど無い、今では想像するのも難しい(笑)子どもを演じてましたね。
学校で自分を出せないストレス…いやストレスって言うほど大げさなものじゃないけど、自分で抑えてた感情は、ときどき弟たちにぶつけていたかも。
人は、自分より弱い存在に溜まってる負の感情を出す傾向にあるでしょ?私は三歳下の弟たちをその相手にしてたのね。でも、悪いことの相手ばかりじゃないですよ。
藻岩山や豊平川の河川敷へ探検に出かけたり、チラシの裏に絵を描いたり、ケロッグやグリコのおまけでごっこ遊びしたり。学校の友達よりは弟と遊んでた記憶があるな~
とにかく、自分を外に向かって出すことは無く、黙って何かを作ったり・黙って人のやり取りを見聞きしている時間が多い子でした。(←と自分では思ってる)
あ、今日も夜11時がやってきちゃいました。今宵はここまでです。もったいぶるつもりは無いけれど…おやすみなさい。良かったら、また明日!
※と言いながら続きを書いたのは三日後でした。興味のある方は→こちらをクリックしてね
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