悲しいことが続いても次へと歩き出す、そんなときの頭の中

今日は12月30日。2022年が終わるまで残り一日となりました。そんな晦日の夜、私の頭にふと浮かんだ言葉があります。それは境目。

この言葉が頭に浮かんだ理由は…明日には年が変わるから。うん、それもあります。

でもきっと一番の理由は、私が去年とはあまりに違う年末の過ごし方をしているから。

ガスストーブの音しかしない静かな部屋でパソコンに向かっている自分の姿は、去年までとは線を引いたように違う。

新型コロナウィルスが世の中に蔓延し始めたおよそ3年前を境目に色々なことが大きく変わっているでしょう?もしかしたら、あなたも「境目」を感じるている一人かも知れませんね。

いろいろ失いました

思い起こせばこの3年、私はいろいろ失いました。悲しいことが続いた3年間でした。

コロナウィルスが蔓延し始めた2020年4月、私の辛い時期を癒してくれた愛犬カブキが亡くなり…

↓ありし日のカブキ

2020年12月、結婚直後から22年間暮らした夫の実家を手放し…

↓寿町にあったこの場所も今は駐車場

その直後の2021年1月には父が98歳であっけなく亡くなり…

↓亡くなる6日前の姿

毎月のように帰省した札幌の実家とは2021年8月にお別れし…

↓今は見知らぬ方の新しい暮らしが始まってます

父の一周忌も終わって一息ついた今年の3月、夫が亡くなりました。

↓数少ない二人一緒の写真

悲しいことが続いて不幸?

悲しいことが立て続けに起きている。そんな今の自分に対して「不幸」と感じるかと聞かれたら、そうは全く感じないというのが私の答えです。

命にも、形あるものにも、必ず終わるときが来る。生きているということは、幾度となくその「終わるとき」に遭遇することだと思っています。

もちろん、別れの場面はとても悲しいし涙が溢れます。

でも、別れた命やモノと共に過ごした思い出は残るじゃないですか。思い出は常にかたわらにあって、思い出すたびに自分を暖かく包んでくれる。

別れの直後は悲しいけれど、日々思い出すことで共に過ごしているような感覚になって…悲しみや寂しさは次第に消えてゆく。私は今、そう感じています。

↓写真に語りかける毎日です

事実を受け入れて次へ

自分がこの先どれくらい生きてゆけるのか全く予想も出来ないけれど、生きている間には嬉しいことだけじゃなく、悲しいことも有ることは容易に想像出来ます。

悲しい場面に遭遇したとき「悲しいことが起きた」と事実を受け入れる。そして思い切り泣いたら事実を踏まえて次へと歩き出す。それが「生きていること」だと思って。

私はそう考えてこの先も生きたいです。

悲しい事実に自分の感情を揺さぶられ続ける、いや揺さぶられんじゃなく自分で揺さぶり続けるのは嫌ですもん。

自分の人生を幸せだなぁと思うのも、不幸だと思うのも、その境目は事実の受け入れ方。

お正月を迎える準備に追われることもなく、静かな静かな居間で一人そんなことを思う2022年の晦日です。

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1959年千葉県生れ札幌育ち。事務員をするつもりで就職した会社でSE部門へ。精神と体を鍛えられつつ仕事の楽しさを知る。1986年、結婚を機に来た釧路で株式会社アシストを創業。以来 『仕事をもっと楽しくするには?』 に知恵を絞る。 2014年に 『葉子の部屋』 を、2015年に『つながり空間まめ』をアシスト内にオープン。テーブルを囲んでのお喋りから多くを学んだ子供時代の経験を仕事にも生かしたいと試行中。 絵を描くこと、モノを作ること、自然の中に体を放り込むことが好き。

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