自分の歴史を振り返ると見えてくるものがある-その4

■忙しい方向け→【朗読バージョン】■

シリーズものっていいな。

去年の暮れ、友達がSNSでシリーズ投稿するのを見て思いました。

シリーズものって『 この次はどうなるんだろう 』っていうワクワク感があるでしょ?それと…書かれている話に感情移入出来る。だから読んでて楽しいし、続きが読みたいって気持ちになるんです。

私だったらどんなシリーズを書けるかな。そう考えているうちに、あることに気付きました。

前にシリーズもの書いてたよね

私…以前にもシリーズで書いたことがあったんじゃない?で、調べてみると…ありました。2016年10月~11月に。しかもブログの最後を、もう少し続けますって言葉で締めてる。じゃあ言った通り続きを書こうよ…というワケで、1年2ケ月ぶりに再開します!

万に一つも(笑)、前のシリーズに興味がある方がいたら…こちら↓をどうぞ。

・第一話→風邪をひいた夜には自分の歴史を振り返る

・第二話→自分の歴史を振り返ると見えてくるものがある-その1

・第三話→自分の歴史を振り返ると見えてくるものがある-その2

・第四話→自分の歴史を振り返ると見えてくるものがある-その3

↓ 前回最後はサラリーマン時代の話

第3のふるさと釧路へ

北海道リコー(現在のリコージャパン北海道支社)でのサラリーマン時代、私の毎日は残業と出張に明け暮れてました。でもそんな生活が全然嫌じゃなかったな~

経験が無い私に思い切って仕事をまかせてくれる。私も含めてメンバーのほとんどが20代前半という職場。残業もしたけど、仕事が終われば飲んで楽しい時間を満喫したし、休日には同じメンバーと一緒に出かけて遊ぶ。とにかくオンもオフも充実した毎日だったんですもん。

仕事が楽しい。職場が楽しい。嬉しそうに話す私を見て、学生時代の友人に驚かれたし、羨ましがられました。仕事が楽しいなんて信じられないってね。でもホントに楽しかったんです。

毎日、あははオホホと笑ってるばかりじゃないですよ。お客様の会社のお金に関わる部分を任されるんですから、緊張続きで体調を崩したこともある。それでも仕事が面白くて、転職なんて夢にも考えなかったな〜

入社3年目からは主に帯広や釧路のお客様を担当。入社4年目に今はもう無いフジカラー釧路という会社の販売管理システムを任されました。当時フジカラー釧路の電算室担当だったのがアシスト会長で夫の浅野 洋。この仕事が縁で、私は札幌から第3のふるさと釧路に嫁いでくることになったんです。

ちなみに第1のふるさとは、生れた場所の千葉県大網白里市(おおあみしらさと)。

第2のふるさとは、多感な子供時代からサラリーマン時代までを過ごした札幌です。

↓ これまた今はもう無い釧路のオリエンタルホテルで挙式

結婚したの?転職したの?

結婚したときは、まさか自分が仕事漬けの生活をするなんて、まして社長になるなんて想像さえしたことが無かった。

結婚したら私は専業主婦。夫は会社を辞めて起業すると聞いていたので、仕事のサポート的な役割は少しするんだろうな。それくらいの気持ち…

それが仕事オンリーの生活になったのは何故?40歳くらいまでは、何故?何故?って毎日思ってました。

何故?って、それは自分がそういう選択をしてきたからでしょ?今ならハッキリそう言い切れます。でも当時は人のせいにしてた。ほぼ夫のせいにね(笑)私は転職するために結婚したんじゃなーーい!私の青春を返してよーーー!って。

どうしてそんな考え方、感じ方になったのか。理由は…コミュニケーション不足。会社設立のとき、夫と私とで互いの価値観や創業への思い、どんな会社にしたいのかっていう一番大切な話をほとんどしなかったのがイチバンだと私は思ってます。

じゃあ、実際どんな感じでアシストは生まれたのか。そのあたりの話は次回で!

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1959年千葉県生れ札幌育ち。事務員をするつもりで就職した会社でSE部門へ。精神と体を鍛えられつつ仕事の楽しさを知る。1986年、結婚を機に来た釧路で株式会社アシストを創業。以来 『仕事をもっと楽しくするには?』 に知恵を絞る。 2014年に 『葉子の部屋』 を、2015年に『つながり空間まめ』をアシスト内にオープン。テーブルを囲んでのお喋りから多くを学んだ子供時代の経験を仕事にも生かしたいと試行中。 絵を描くこと、モノを作ること、自然の中に体を放り込むことが好き。

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