自分の歴史を振り返ると見えてくるものがある-その5

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この前のブログでは、担当した仕事が縁で私が釧路に嫁いで来るところまで話しましたよね?

そう、夫と知り合ったきっかけは仕事です。じゃあ、結婚の決め手になったのは何かというと…ここだけの話、実は仕事なんです。

サラリーマン時代の私の主な仕事。それは事務処理のコンピュータープログラムを作ること。伝票発行や請求書作成、売上集計といった事務処理を機械化する仕事です。それまで手作業で何日もかかっていた事務処理を、早く・正確に・少人数で出来るようにします。

↓ コンピュータとプリンターに囲まれてお仕事

技術者なんて無理!

このプログラムを作る技術や知識。すべて会社に入ってから覚えました。ソフトウェア・システムエンジニアなんて言葉が一体何を意味するのかも、自分が実際に仕事をするようになってようやく分かったんです。

私は自分から希望して技術者になったんじゃありません。たまたま配属先が技術部門だっただけ。想定外の人事だけどチャレンジしてみようで仕事して3年半が経った頃、そうフジカラー釧路を担当し始めた頃、私の頭の中にはこんな文字がチラつき始めました。

このまま技術者としてスキルアップし続けるなんて私には無理だ…

無理だ…なんて本人は言ってますけどね、嘘です(笑)正確には嫌です。想定外の人事にチャレンジしてみたけれど技術者にはなりたくないっていう気持ちが日に日に大きくなってました。

↓ こんな文字を日々入力してました

COBOL(コボル)言語

あれ?この前のブログで仕事は楽しかったって書いてたんじゃない?はい、そうです。仕事は楽しかったですよ。プログラム作成以外は(笑)

たとえば…お客様のところに行って、事務の困りごとやプログラムへの要望を聞くこと。聞いた内容に私なりのアイデアを加えてシステム設計をすること。出来上がったシステムが軌道に乗るように、操作方法や運用方法を教えること。操作説明書やシステム設計書を作ること。どれも楽しかった~

そして一番楽しかったこと。それは事務処理が改善されて喜ぶお客様の姿をこの目で見ることです。

プログラム作成以外の仕事だけさせて欲しいと上司に言えば、受け入れてくれたかも知れません。でも、当時はそんな発想はまったく浮かばなくて…

仕事が嫌なら会社を辞めるしかない。転職する勇気はない。もう24歳だし…寿退社という選択が一番だ!と、何とも単純な考えでいたときに出会ったのが夫なんです。

↓ そんな悩みを持っていた頃

つまり、結婚の決め手は『仕事を辞められる』こと。私の作るプログラムが欲しい結果を出さない、あの苦しみから解放されるんだー!って。

いまこうして文字にして読んでみると漫画の世界みたい。我ながら幼いね。

仕事が辞められる!っていう思いで結婚を決意したのに、何故アシストを始めたのか。そこまでたどり着かないうちに、いい時間になっちゃいました。

今宵はここまでと致しとう存じます。では…

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浅野葉子

浅野葉子

代表取締役株式会社アシスト
1959年千葉県生れ札幌育ち。学校卒業後に事務員をするつもりで就職した会社でシステムエンジニア部門へ配属される。4年間のハードワークで精神と体を鍛えられつつ仕事の楽しさを知る。1985年結婚と同時に来た釧路で夫とアシストを開業。以来 『オフィスの仕事をもっと楽しく便利にするには?』 に知恵を絞る。 2014年アシスト内に 『葉子の部屋』 を、2015年アシスト2階に『つながり空間まめ』をオープン。テーブルを囲んでのお喋りから多くを学んだ子供時代の経験を仕事にも生かしたいと試行中。 絵を描くこと、モノを作ること、自然の中に体を放り込むことが好き。

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