自分の歴史を振り返ると見えてくるものがある-その2

生まれて初めてフォトプロップスなるものを作りました。←コレ、写真を撮るときに楽しむための小道具なんですって。

実は…お友達のコスメコンシェルジュ、レモンちゃんに『 フォトプロップスを作りたいから手を貸してね 』って頼まれたんです。

紙で何かを作りたい→自分一人じゃ出来ないから誰かに手を貸してもらおう→そうだ!浅野さんに頼もう

レモンちゃんがこんな↑風に思ってくれたことがホントに嬉しくて、今日は半日、夢中で段ボールをカットしてました。あの時間、すごく楽しかったな~

↓ レモンちゃんのお店の名前が入ったフレームと小物が完成!

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任せてもらえるって嬉しい!

一つ前のブログに書いたように、小学生時代の私って内向的で口数が少ない子だった。理由のイチバンは…転校が多くて自分を出す前に学校が変わってしまったこと。

あと…家庭内の事情もあったかな。それは二人の姉の存在。家のお手伝いも、大人とのコミュニケーションも、姉のほうが私よりも断然うまくやれる。4、5歳も上なんだから出来て当たり前なんだけど、私は姉たちに劣等感を持ってた。自分より何でも上手に出来る姉たちを見ては、自分が出る幕なんてどこにも無いな~って思ってましたね。

そんな私の心に大きな変化が起きたのは中学校1年生のとき。

↓ 当時は長い髪の少女でした

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まず、クラス全員が同じスタートラインに立ってる平等感に、どこかほっとしたんです。通う学校もメンバーも新しくなって、クラス全員がいわば転校生みたいな感覚?自分だけがアウェイだなっていう孤独感が無い。

さらに、キッカケが何かは忘れたけど学級新聞の編集委員に選ばれた。一年間で第6号まで発行した新聞作りに関わったことで、初めて自分の居場所を得たような気持になって、小さな自信を持てたんですよ。

当時、自宅にまで道具を持って帰って、夜遅くまで鉄筆でカリカリ文字を刻んでいたの覚えてます。

私、よっぽど嬉しかったんでしょうね~1972年に作ったガリ版擦り(←知らない人もいるかな?)の新聞。44年経った今でもこうして捨てずに保管してるんです。

↓ もう黄色く変色して破けそうな学級新聞

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今日最初に書いたフォトプロップスもそう。学級新聞もそう。誰かに頼りにされて任される。そしてやり遂げた結果を誰かが喜んでくれる。それがどんなに嬉しいことなのかを、この時に知ってしまったんです~

ただこれ以降、社会人になるまでは、誰かに頼りにされる喜びより、友達との会話や部活での喜びを楽しんでいましたね。

それでも、寝る間を惜しんででも自分の手を使ってコツコツと何かを作り上げる喜び、君に任せるよと言われて頼りにされる喜びを知ったこの時代が、自分の原点であることは間違いないです。

は~、そうだったな~って、今こうして書きながら認識してます。また数年経ったらこの事実を忘れてしまうかも知れない。自分のことだけど、こうして書きとめておくって、自分自身のためにも必要ですね。

次回は、いきなり社会人になるあたりから書くつもりです。そこにも付き合ってもらえると嬉しいな。

明日は10月最終日&月曜日。忙しい一日になるでしょうけど、がんばりましょうね!ではまた~

※この続き、社会人編を書きました。興味のある方は→こちらをクリックしてね

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浅野葉子

浅野葉子

代表取締役株式会社アシスト
1959年千葉県生れ札幌育ち。学校卒業後に事務員をするつもりで就職した会社でシステムエンジニア部門へ配属される。4年間のハードワークで精神と体を鍛えられつつ仕事の楽しさを知る。1985年結婚と同時に来た釧路で夫とアシストを開業。以来 『オフィスの仕事をもっと楽しく便利にするには?』 に知恵を絞る。 2014年アシスト内に 『葉子の部屋』 を、2015年アシスト2階に『つながり空間まめ』をオープン。テーブルを囲んでのお喋りから多くを学んだ子供時代の経験を仕事にも生かしたいと試行中。 絵を描くこと、モノを作ること、自然の中に体を放り込むことが好き。
浅野葉子

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